三本木農業高校、馬術部 〜盲目の馬と少女の実話〜
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タカラコスモス
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タカラコスモス

〜タカラコスモスについて〜

1.出生〜競走馬として
タカラコスモス(以後コスモ)は、1984年5月5日生まれの牝馬のサラブレッド。出生地は、競走馬の産地である北海道静内町で、父親はサクラシンゲキ、母親はレディスマート。競走馬として調教され、いくつかのレースに出場するも結果を残せず、才能に早々と見切りをつけられる。当時、国内で生まれるサラブレッドは年間11,000頭以上ともいわれ、その中で大活躍するのは数十頭。競走馬を引退した馬は、繁殖牝馬になるか乗用馬の馬として学校や乗馬クラブへ引き取られる。
2.競技馬への転身
コスモは、東京・武蔵野市にある日本獣医畜産大学の馬術部に引き取られる。馬術部の監督である山内英樹先生は、JRAで乗馬の普及や競馬のスターター、競馬学校の副校長を務めるなど多くの競走馬と接してきた経歴の持ち主。何度かコスモに乗るうちに、彼女が馬術競技を行う上で大切な素質である「潔癖性」をもっていることに気がつく。生まれながらに潔癖性をもつ馬は稀であり、素質を確信した山内先生は競技馬として調教する。
3.女王、タカラコスモス
競技馬としての調教が始まって1年程で競技会に出場するようになったコスモは、すぐに頭角を現わし、1989年から5年連続で全日本学生馬術大会に出場、うち90年には優勝を飾る。また、関東学生馬術大会の関東学生障害飛越競技に3年連続で入賞、うち1回優勝。ついには「女王」と呼ばれるようになる。三本木農業高校の馬術部顧問、藤森亮二先生は、この頃、コスモを見るたびに、引退したら引き取りたいと関係者に伝えていた。
4.発病、そして三本木農業高校へ
1993年の冬、コスモが「前部ブドウ膜炎」を発症。目に入る光量を調整する「虹彩」と焦点を調整する「毛様体」を合わせて「前部ブドウ膜」といい、そこが炎症を起こす。次第に視力が低下し、失明する病気である。発見が遅く、治療の手立てはなかった。通常、自力で生きていけない馬は処分されるのだが…。1998年1月、藤森先生がコスモを引き取りたいと立候補。3月末、学校に引き取られることになる。
5.湊華苗さん、入部
1999年春、湊華苗さんが馬術部に入部。1年生の夏、コスモの担当となる。コスモの子どもを作ろうと決意した藤森先生は、2000年4月、北海道の牧場に種付けに出す。相手は北海道にいるフランス馬。リスクの高い種付けだったが、無事に終わり、6月、コスモが高校に帰ってくる。2001年4月、牝馬を出産。華苗さんによりモスカと命名される。当時、コスモは17歳、人間でいうところの68歳の高齢出産であった。
6.競技会出場と仔別れ
2001年11月、華苗さんが、コスモで高校生活最後の大会、青森県民馬術大会に出場。左目の視力は失いかけていたが、指示を出せば80cmぐらいの障害は飛び越えたという。映画では障害馬術に出場しているが、実際に出場したのは馬場馬術。成績は14人中8位。同月、モスカが、福島の牧場に引き取られる。モスカは現在、競技馬として調教中。母親譲りの気質を兼ね備え、活躍が期待されている。コスモは、現在も、三本木農業高校にて、部員に見守られながら余生を送っている。